山形市馬見ヶ崎の歯医者・歯科医院 | あきらデンタル・クリニック | 院長が開業するまでの想い

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独立の想い

私の先祖、正確には祖父の祖父にあたる人物には、「絵がきれいでよくあがる」と評判だった「隠明寺凧」をはじめてつくった隠明寺 勇象(最上の凧絵師)がおります。

私は山形市旅篭町にて幼少を育ち、祖父 盛善の白衣姿が憧れでした。
祖父は現在の新庄市出身で苦学の末、医師になりました。

山形市立済生館の耳鼻咽喉科の医長を経験した後、山形市内に「隠明寺醫院耳鼻咽喉科」を開業しておりました。
当時勤務されていた看護婦さん(現看護師)に聞いた話しですが、祖父の手術方法や縫合の高度な技術を見るために(左右両方の手を使い、同じ速度での正確な縫合技術)多くの医師が木曜日の午後に見学にきていたそうです。

場所は現在の山形市役所の駐輪場にあたる旅篭町2丁目で、明治に代表されるルネッサンス調の当時としてはモダンな建築物でした。
当時旅篭町にあった診療所には、山形市内はもとより山形県内、県外からも数多くの患者様が当時の開業医としては珍しく入院施設のあった医院へと来院してくださったそうです。

私が幼稚園の頃には祖父は手術をやめて、外来のみになりましたので、その入院施設として使っていた2階を改造し、そこで家族で暮らしておりました。
小学校に入学してからは、同じ敷地内で診療所奥にあった祖父のお蔵のある建物で、私だけ一緒に寝泊まりしておりました。
小学校時代は、裏庭から抜けていくとすぐ傍に湯殿山神社があり、そこに隣接した「巌島公園」にて毎日野球に明け暮れておりました。
小学校3年生からはじめた剣道では、全国大会にも出場したことがあるのですよ(笑)。

独立の想い

また、祖父の期限切れの薬品やアンプルなどを混ぜて「完成薬」と名付け遊んでいた記憶もあります。(現在のように産業廃棄物処理などが存在しない時でした・・・)

インプラントのオペを行う場合、上顎洞という部位に対しての手術が必要な場合がありますが、祖父がもし生きていれば色々なことをアドバイスしてくれただろうなぁ~と懐かしく思うことがよくあります。
生粋のおじいちゃん子だったわけです・・・。

さて、現在の開業地である山形市馬見ヶ崎ですが、私が中学校の頃(山形市立第5中学校出身)理科の実験のため「カエル」を捕まえに行った時には未だ田んぼしかないような土地でした。

父も同業の歯科医師であり、開業しておりました。
父はもともと学業の成績がよく、国立大学の工学部に入学し、大学院に進むものの就業する意思も無く、歯科医師であった大叔父(祖父の末弟)に勧められるがまま、私立歯科大学の3年より編入学しました。
卒業後は、保存学の当時の助教授が開業した際に、勤務医として東京の蒲田で働いたそうです。
帰省してからは、祖父の勧めもあり山形市立済生館に勤務させてもらい、やはり祖父の援助の基開業(祖父のもともとの手術場所を改造して)をさせてもらいました。

優しい父でしたが、私が幼少より学生時代~勤務医になった際も、明確な人生設計が無く、残念ながら歯科医師として勉強している姿を見たことがありませんでした。
父は三人兄弟の末っ子として祖母に可愛がられ恩恵をたっぷり受けた歯科医師でした。
そして、歯科医院黄金時代の話においては通用する話かもしれませんが、現在のコンビニより多い歯科医院と揶揄される時代においては勉強しない歯科医師は到底通用するものではありません。

独立の想い

そこで、私は働きながら生活ができ、勉強できるところを必死に探しました。
そんな私を快く勤務医として雇っていただき、歯科医師としての基本から生涯勉強し続けることの大切さを教えてくださったのが、故 清藤 三津郎 院長先生(歯科医師でありながら青森県黒石市の市長をされておりました)でした。

最初の全体ミーティングでの院長総論では、子弟の教育がしっかりできること、時代背景に合った一流の人に教わり勉強を続けること、それを患者様に実践して喜んでいただいた対価としてお金を頂戴し、また自分自身の勉強のために投資する金銭は絶対に惜しまないこと、など・・・
まるで父の生き方とは正反対のことを教えていただきました。

出身大学の同窓の先生もおいででしたが、最大派閥?は九州歯科大学出身の先生方です。
院長の厚い人望と尊敬の念より、遠い九州からわざわざ勉強しにいらしていたのです。
院長の門下生(歯科医師)は全国に約100名おります。
私は、そのような環境の中で先輩歯科医師より叱咤激励を受けながら、修行をさせていただき色々な経験を積みました。

独立の想い

1~2年目の頃は、診療時間前、後に先輩の先生方(所長)に治療計画の説明やご指導を受け、さらに皆が帰った後に、黒石市にある診療所に伺い夜中まで模型を使用しての形成の練習を重ねていきました。

辛く、泣けるような日もありましたが、独立開業をするために、人より多くの練習~努力~経験を積むことを怠ってはいけないと心に言い聞かせ毎日を過ごしました。

勤務3年目以降は、今度は後輩歯科医師の面倒を見ることになり、教えることの難しさを体験しました。
4年目からは弘前市の清藤歯科医院(当時イトーヨーカドー内)の所長の拝命を受け、医院を2年間任せていただき、さらに多くの経験を積みました。
また、4年目には歯内療法の大家である森 克英先生のセミナーへ半年間、4~5年目には東京の松濤にある(渋谷109方面)国際デンタルアカデミーの保母 須弥也先生(顎咬合学会創始者)に、1年間青森(弘前)の地より通わせていただくという、貴重な体験をして参りました。

当時の超一流といわれる名だたる先生方のコースに、一勤務医の私が通える喜びは、正に天にも昇る思いでした!
清藤歯科医院出身の同窓生とは、現在でも数年に一度お会いする機会があります。
改めて院長の懐の深さ、愛情を感じ、あの頃を想いだすとともにただただ感謝するばかりです。

清藤 三津郎先生は、私にとって今も心の支えになっていただく大切な恩師です。
平成9年に山形へ戻ってきた際、そんな院長に恩返しがしたく、教えていただいた多くのことを患者様に伝えたい!!という思いがさらに強くなりました。
安易に跡を継ぐとか一緒に働くことを避け、独立開業の道を選びました。

独立の想い

父との歯科に対する考え方のギャップがあまりにも大きかったことも否めません・・・
親からの援助(勿論できる状態ではありませんでしたが・・・)無しで、銀行交渉や土地探しなどすべて無の状態からはじめました。

はじめの銀行交渉では、某有名銀行より門前払いをくらう苦い経験もしました。
また、現在の土地をお借りする(借地)時もかなり難航し、色々な関わる業者とのせめぎあいがあり、板挟みになり頭にはげをつくりました。
そしてようやく願いが叶い、生まれ育った小、中学校の学区内であるが現在地に晴れて平成10年12月5日に開業することができました。

スタッフ、家族、患者様の支えがあり、令和3年12月5日には開業24年目を迎えます!
今後も第一にスタッフが働き易く、健康的(電磁波対策や環境ホルモンを抑えるなど)かつ、独創的な空間や環境作りをしていこうと考えております。

スタッフが健康で明るく、元気でいてくれることが、私の幸せであり、そしてあきらデンタル・クリニックを信用して来院される患者様の幸せにも繋がることと自負しております。

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